政と教

 先の総選挙の結果、自民党は大勝した。公明党議席数を減らしたが両党による連立政権の継続が再度現実化した。“自公党”などと揶揄する向きもある。    また、小泉氏は総裁より教祖といったほうがよく似合うと皮肉る人もいる。郵政教で国民を“折伏”して回ったからだという。だが当の教祖様なる人物は別の処に厳として存在して御座る。即ち公明党の背後にだ。
 世間の人は様々なことを言うが「言論の自由」とやらで、別になにをいっても問題にはならない。僕は小泉さんが教祖様だとは思わない。たとえ今回の一連の行動のなかに独断的な部分があったにせよだ。
 政治と宗教はどちらが上か。この問題を考える史実がある。日本史では織田信長比叡山焼き討ち。世界史ではカノッサの屈辱である。前者では政治、後者では宗教が上位に置かれる。哲学的に考えていけば結果、“卵が先か、鶏が先か”の論争になるのかもしれない。
 東京の選挙区で公明党支持者の応援票を当てにせず当選できたのは、小池百合子氏だけだという。政治家・小泉純一郎氏は、巨大宗教団体の会長(教祖様みたいな存在)に屈伏したのだろうか。僕はそのようには捉えたくない。彼は言わば“おぼっちゃま的な自由主義者”ではあるまいか。
 決して政治が宗教に負けてはならない。