好きな小説家

僕の話をダサイなどと言うこと勿れ。そんなことは別にどうでもいいが、先日テレビでダサイ男の物語をやっていた。今、そのビデオを断片的だが見ている。太宰さんである(おー寒……治)。
 彼の小説は若いころ読んだがもう忘れてしまっている。でも「面白いことが書いてあるなあ」と実感したので、自分の血肉の一部になっていると思う。僕にも恋愛経験の一つや二つはある。お付き合いしていた女性が三鷹に住んでいたので、その場所には数度行った。彼女が「ここで太宰治が連れの女性と自殺したのよ」と指さして教えてくれた。小さな川の堤だった。(その後、その女性に見事に振られてしまったが)
 人生の余力を残して自殺する作家がいた。たとえば芥川龍之介だ。「頭だけで人生を生きると、ああなる」と松本清張氏が生前に語っていた。
 ところで、文学だとか小説だとかいっても様々な分野があるのはいうまでもない。一方の極にプロレタリア文学がある。他方、それらは資本と労働の関係を書いただけで、労働現場をきちんと描いてこなかった、との立場をとる作家・小関智弘さんがいる。彼は、何の変哲もない日常から滲み出てくる人生模様、即ち、働く人の普通の姿を書き取っておくことが重要で、それこそ真のプロレタリア文学だと主張している。
 僕は“無頼派”と呼ばれる太宰治氏の作品の方が好きだ。