性教育

 著名人の結婚会見で記者が「お子さんは何人を予定していますか」と質問する。すると「それは全く予想できません。赤ちゃんを運んでくるコウノトリに聞いてください」と答える。こんな場面をたまにテレビで見る。子供の頃、ウォルト・ディズニーの漫画映画でコウノトリが嘴で赤ちゃんの入った袋を銜えて飛んでいるところを観た。「ダンボ」じゃなかったかな。
 誰でも一度は経験していると思うのだが小学生の頃、夕飯の時に「赤ちゃんはどうしてできるの」と聞いたことがある。母は笑いながら「さあ、どうしてでしょうね」と軽く交わした。「コウノトリが運んで来ます」とは言わなかった。歌手山本リンダさんの「困っちゃうな」の中で、デイトに誘われて、困ってママに聞いても、何にも言わずに黙っているだけというのがあるが、親もそんな質問にはまさに困ってしまう。
 高校生のときの生物の授業。僕たちのクラスを担当していた先生は生殖だとか受精について“そこのところ”は素通りした。しかし隣のクラスの先生は男女の性器を黒板に描いて詳述したそうだ。その対照的な教え方に不思議な感じを受けたのは僕だけではあるまい。尤も後になって理解できたことだが、端的に教えたと言ってもそれは心の面が伴っていたわけではない。単に物として説明しただけだ。
 先日、奈良の女児殺害事件から丸1年が過ぎたと報じられた。性犯罪は後を絶たない。性教育は難しい。学校で教えることはできないと思う。本当に「困っちゃうな」。