大工の棟梁

 Mさんは明治33年(1900年)に生まれた。19世紀最後の人間の一人だ。平成8年(1996年)にその生涯を終えた。職業は三代続いた大工の棟梁だった。
 終戦で米国の進駐軍が来て宿舎が必要になり、Mさんはそれを造る一人として参加した。米兵とのやり取りが面白かったと、いろいろな話を聞かせてくれた。大工を父に持つ歳若い米兵に道具の一つである“墨壷”をお土産にあげたという。昭和40年代に、大きな病院のオーナー(旧軍医)から私邸を造ってくれるよう依頼された。Mさんは一生で一番大きな仕事だと感激していた。なんでもそのオーナーのお祖父さんが東京帝国大学森鴎外の同級生だったそうだ。Mさんは日露戦争の時の兵隊検査で不合格になった。正式には第二乙種補充兵というのに合格したのだ。算数の問題で通分ができなかったのと体重が少し足りなかったのが原因らしい。試験官の軍人さんが「Mさんは小学校の3年生程度だ。日々、大工の仕事に励みなさい」と言ったという。
 昨今、随分といい加減で無責任な一級建築士が世間を騒がせている。
 実は、Mさんは私の祖父である。祖父を尊敬している…。