人の言いなり

 輸入が再開されたばかりの米国産牛肉だったが、再び輸入停止措置が執られた。中身に特定危険部位が混入していたためだ。小泉首相20日夜、「残念だ」と遺憾の意を表明した。 日本は大方の事では米国の言いなりになっていると思う。同盟国だから、そうするのが国益につながるとの判断がある。
 翻って、この問題を私個人の人間関係で考えてみた。ご近所、会社の上司、部活の先輩、呑み友達、あるいは配偶者等、人付き合いの様々な局面でだ。十人十色でいろいろな性格の人がいるが、私は波風を立てずに生きたいから、先ず、人の言いなりになっている。沈黙を守り冷静に事の推移を眺めていくのが基本方針だ。それで普通は丸く収まる。しかし、自分の許容限度を超えるとき(その頃合いが難しいのだが)、「貴様!ナニコイトル…、俺を舐めちゃあいけないよ」と自己主張する。これまで滅多になかった。小泉首相靖国参拝でこの態度を取っている。
 かつて、「NOと言える日本」とかが話題になったが、今般、日本は舐められてはならない。店頭に不安な牛肉が並ぶ前に処置するのが当然だが、万一の場合は買わなければいいのだ。断じて米国にノーを突き付けよう。そうなりゃ彼らも納得するだろう。人間、許容限度の範囲を超えたら誰でも怒る。そうでなければ余っ程の馬鹿だ。