藤田元司氏の死

 読売ジャイアンツの元投手で監督も務め、数多くの輝かしい実績を残した藤田元司氏が亡くなった。
 現在、「団塊の世代」と云われる僕たちの少年時代の始めの頃には、まだ各家庭にテレビが普及していなかった。当然、外で遊ぶ機会が多かった。野球が一番人気があった。僕も小学生の時、野球部に入っていた。控えの捕手だった。盗塁阻止率は殆どゼロ㌫だった。随分と“ミットもない”話だが事実だ。
 作詞家・阿久悠さん原作の「瀬戸内少年野球団」が有名だが、僕はあそこに描かれている少年達よりやゝ後の世代になる。「瀬戸内…」では、皆が普段着で野球をやっている。まだ世の中が物不足の時代で、社会自体が貧しくユニホームがないのだ。それで進駐米軍がプレゼントしてくれたのを着てプレーしている。僕達の頃もまだ、その名残があった。ほとんどのチームはユニホームを着ていたが、中には依然として普段着のまゝのチームもあった。僕達のチームは区大会を勝ち抜き、市の段階まで行ったが惜しくも初戦で敗退した。
 そんな頃のアルバムを引っ張り出して見てみたが、今現在、お付き合いが続いている人は一人もいない。皆、どうしているのだろう。
 藤田さんの死去の報に接して、昔を懐かしく思い出した。追悼…藤田元司さん。