松代大本営

 長野県へ旅行をした。松代町という所に戦争の傷跡があった。地下壕である。幻の大本営とでも呼ぼうか。敗色濃厚だった当時、軍部は本土決戦によって連合国側に最後の打撃を与え、国体護持などのよりよい和平条件を得ようと考えていた。この決戦の指揮中枢を守るためのシェルターとして松代大本営が計画されたというのだ。
 この大本営のトンネル堀作業には強制連行された多くの朝鮮人労働者がいた。過酷な労働を強いられた。すぐ傍に歴史館があった。そこで僕は案内係りの人と「もっこ担ぎ」を実体験してみた。ずっしりと重く足腰に応えた。「こんな奴隷みたいなことをさせられたんだ」と思ったとき、映画「十戒」の中でピラミッドやスフィンクスの建設に動員されるユダヤの民が目に浮かんだ。また、森村誠一氏の「悪魔の飽食」も思い出した。
 原爆や赤紙一枚で有無を言わせず殺された方々は勿論、被害者だが、日本には戦争加害者としての側面があるのを忘れてはいけない。個人と国家の視点というか、戦争の“リーダーたち”と国家権力のために死を余儀なくされた“下の人たち”との間には、同じお国のために命を落としたとはいえ、自ずから区別があって然るべきではないか。
 蛇足だが、松代に大本営を移す理由の一つに信州が「神州」に繋がるとの発想があったらしいが、こんな語呂合わせは僕の駄洒落より下手くそ。それにしても、こんな非科学的な考え方では、戦争に勝つどころか始める前から負けは分かっていたのでは…。