ドライバーは大変

 この6月から改正道交法が施行され民間委託の駐車監視制度が始まった。しかし、私はクルマを運転しないのでこの問題は全くの他人事である。クルマは便利だがいろいろと煩わしい。公共の交通機関を利用し必要な時だけタクシーに乗る。タクシー会社は決めている。カード決済なので釣銭やチップのやり取りもなし。気楽でいい。
 ところで同法施行後の6日、初の妨害行為の摘発があった。25歳のアルバイト店員が、「ここに(バイクを)停めてはいけません」との注意に腹を立て「うるせぇ」と云って監視員に蹴りを入れたのだ。この男は“逮捕”にびっくりして平謝りに謝ったそうな。昔、学生運動をやっている連中に警察官をポリ公と呼んで彼らに反感を抱いている奴らが多くいたがそれを思い出した。このアルバイト店員は監視員という見做し公務員の背後に国家権力が存在しているのを知らなかった。山口百恵の歌に「♪馬鹿にしないでよ、そっちのせいよ」というのがあったがそれとは違う。権力には勝てないから「御免なさい」と素直になるのが賢い。
 一方、今回の同法の施行では「暮らしの足」も対象になっている。猶予時間はないらしい。一般の人の日々の営みを悪質性や迷惑性と関係なしに一律に違法とする取締りでいいのだろうかという人もいる。運転者は「ちょっとだけよ」との甘い気持ちを捨てなくてはならない。厳しいが仕方がない。国家権力とはそういうものだ。

盗作疑惑騒動

 僕は絵画の鑑賞が好きな方である。近く地元の有名な美術館で「江戸の誘惑」と銘打った肉筆浮世絵展(ボストン美術館所蔵)が開催されるのでぜひ見に行こうと思っている。
 その矢先、盗作問題が浮上した。今春の芸術選奨文部大臣賞に選ばれた洋画家、和田義彦氏の作品がイタリア人画家、アルベルト・スーギ氏の絵に酷似していたのだ。結果、盗作と判断せざるを得ないとのこと。本人は「プロが見ればその違いは明らか、創作だ」と主張したらしいが、それは通用しない。和田氏は「木を見て森を見ず」ではないか。視野が狭く大局に立った見方が出来ていない。テレビで評論家が選ぶ側の在り方にも言及していた。曰く、「日本の美術界はすごく内向きだとの批判がずいぶん前からある。身内というか、自分の所属する団体の人を賞に推薦するとか、そういったことが行われてきた。もっと広く目を外に向けないと国際的にすごい恥になる」。
 本人も選者諸氏も考えが甘い。お絵かきなんてものは所詮お坊ちゃま、お嬢ちゃまのお遊びなのかも知れないが、そうだったらなおさら盗作なんぞの下品な行為は止めてもらいたい。たとえ下手糞だろうが自分のもの(個性)がもっとも大切だとの芸術の第一歩が忘れられているなあと感じた次第であります。
 それにしても肉筆の浮世絵の迫力は凄いだろうな。早く見てみたい。僕は誘惑されるのである。

医は仁術というけれど

 人工透析患者を民間医院に紹介した見返りに現金を受け取った疑いで市民病院腎臓内科部長が逮捕された。愛知県での話。まさに医は算術である。とんでもない医者がいるもんだと驚いたが問題の根は深いらしい。当該患者は「お金を渡してまで患者確保に走るとは聞いたことがない」と云っている。私の知人に腎臓の悪い人がいるが近年開発された家庭用の人口透析機器を使っている。この機器の出現により病院は患者の増加が見込めなくなり苦境に陥ったとの見方もある。
 冷徹な経済の論理は医学の分野にも容赦なく押し寄せる。だが、その際、問題になるのは医は仁術だとの基本的考え方ではなかろうか。
 ところで、医者の話が出るといつも映画の「赤ひげ」と「白い巨塔」を思い出す。後者で、田宮二郎さん演じる財前五郎の相手に里見という名の良心の固まりのような内科医が登場する。蛇足だが、それを演じた田村高広さんは先日亡くなった。

金儲けの落とし穴

 ライブドア事件粉飾決算が明らかになり株価暴落で多くの個人投資家が損失を蒙った。企業の不正な情報開示で損をする人が後を絶たないが、これまでは泣き寝入りのケースがほとんどだったと言われている。救済できるだろうか。
 さて、まとまったお金のある人は悩みが多いらしい。私はそんなにお金を持ってないのでこの種の話題は全くの他人ごとである。一方、貧乏でもないから借金で消費者金融からの厳しい取立てに合うこともない。気楽でいい。身近な人で株取引をやっていた人といえば母方の祖母がいたが、それもたいした金額ではなかった。子供の頃、証券会社の人が家に来て興奮気味に談笑していたのを思い出す。映画の株主優待券を貰って見に行ったがそれが楽しみだった。
 ところで、信用取引などという複雑な仕組みをインターネットのマウス操作だけで理解できるとは思わない。それで大金を動かすのは考え方が安易過ぎはしないか。道端に甘いお話は転がってはいない。損する側にも隙がある。
 平成16年に証券取引法が改正され今回初めてその真価が問われる。堀江貴文という稀有な人間の将来がどうなるかとの興味とともに、被害者の救済に注目している。

教育についての雑感

 先日テレビのお笑い番組で次のような小噺を聞いた。
生徒:「先生、皆が僕のことを馬鹿だ馬鹿だと言うんです。」
先生:「へぇー、どうしたの?」
生徒:「“ゆとり教育”の弊害じゃないかと思うんです(…!?)」
 ところで、私としては子供も成長しているし学校教育などとはもう縁がない。だが、戸塚ヨットスクールの校長が刑務所から出て来たり、教育基本法の改正が話題になっているのでそれなりに関心が出てくる。公立の義務教育では土日が休みになってしまい、それが原因で非行が増えたり学力の低下につながっているとの意見もある。小学生の頃、担任の先生による家庭訪問があった。今でもその制度はあるのかな。学校の先生は知識だけを与えればそれでいい。担任が生徒の家庭を訪問しても一文の得(知恵)にもならない。ゆとりだろうが詰め込みだろうが伸びる子は伸びるし、落ちこぼれる子はどうしようもない。
 悲しい現実だが、恵まれない家庭はいつの時代にもある。教育の問題を思う時にいつもぶつかるのがそれだ。
 

政治雑感

 小泉首相は6月に訪米するがその際、米議会で演説するだろうか。それが実現するためには予め靖国神社を参拝しないと表明する必要があると、ある米議員が言ったそうだ。小泉さんはもちろん不快感を示した。そして安倍官房長官は「首相の米議会演説は無いし希望を述べたこともない」と語っている。この問題はこれで終りかもしれないがなんだか後味が悪い。「火の無い処に煙は立たない」から何かあったなと勘ぐりたくなる。
 先日、韓国のノムヒョン大統領と会談したアナン国連事務総長が「日本、中国、韓国が意見の違いを乗り越えるのは不可能だとは思いません」とインタビューで答えているが、なにしろその威信がすっかり失墜してしまっている最近の国連だけに発言にも重みが感じられない。
 ところで、小泉首相は「脱デフレ宣言」のタイミングを探っているが、今、経済より靖国の方が重要だと思う。政治が安定すれば経済問題は自ずから良くなって行く。いつまでも過去を引きずらず未来志向で現在を考えろとよく言われる。アナン氏はさらに「過ちを繰り返さないよう後世に正しい教訓を残していかねば」と続けた。
 首相の靖国参拝問題は現時点の日本政治の最大課題ではなかろうか。

松代大本営

 長野県へ旅行をした。松代町という所に戦争の傷跡があった。地下壕である。幻の大本営とでも呼ぼうか。敗色濃厚だった当時、軍部は本土決戦によって連合国側に最後の打撃を与え、国体護持などのよりよい和平条件を得ようと考えていた。この決戦の指揮中枢を守るためのシェルターとして松代大本営が計画されたというのだ。
 この大本営のトンネル堀作業には強制連行された多くの朝鮮人労働者がいた。過酷な労働を強いられた。すぐ傍に歴史館があった。そこで僕は案内係りの人と「もっこ担ぎ」を実体験してみた。ずっしりと重く足腰に応えた。「こんな奴隷みたいなことをさせられたんだ」と思ったとき、映画「十戒」の中でピラミッドやスフィンクスの建設に動員されるユダヤの民が目に浮かんだ。また、森村誠一氏の「悪魔の飽食」も思い出した。
 原爆や赤紙一枚で有無を言わせず殺された方々は勿論、被害者だが、日本には戦争加害者としての側面があるのを忘れてはいけない。個人と国家の視点というか、戦争の“リーダーたち”と国家権力のために死を余儀なくされた“下の人たち”との間には、同じお国のために命を落としたとはいえ、自ずから区別があって然るべきではないか。
 蛇足だが、松代に大本営を移す理由の一つに信州が「神州」に繋がるとの発想があったらしいが、こんな語呂合わせは僕の駄洒落より下手くそ。それにしても、こんな非科学的な考え方では、戦争に勝つどころか始める前から負けは分かっていたのでは…。