場外バトル

 今、日本のボクシング界は亀田ブームに沸いている。長男の興毅が8月に世界タイトルに初挑戦する。そんな中、具志堅用高氏の発言をめぐって場外バトルが起っている。事の発端は先月26日付けの毎日新聞。「闘論」の欄で評論家の原功氏と話し合っているが、亀田サイドが具志堅氏の発言に対し激昂しているのだ。訂正して謝罪しなければ絶縁するとまで言っているらしい。
 私はこの件で人間の腹の太さ、即ち、度量の大きさとはどのようなことをいうのかを考えさせられた。世の中には相手の言うことにいちいち腹を立てる心の狭い人もいれば、泰然自若としたおっとり型の人もいる。私は極力、後者的な人間でありたいと常日頃願い、そのような構えで人に接するように心がけているのだが…。具志堅氏は「亀田は弱い外国人とばかり対戦している」また、「パンチを打つ順番が間違っていて、技術面はまだまだだ」などと言っている。彼が小っぽけな人間なのか、それともその程度の批判を聞き流すだけの度量が亀田のお父さんと協栄ジムの会長にはないのか。この話はなにもボクシング界だけでなく世間一般の人間関係すべてに通じると思う。
 いずれにせよ、8月の世界タイトル戦の結果がすべてである。意外な場外バトルを演じてくれたおかげで、私の興味は倍加したのである。
 

小泉総理の卒業旅行

 小泉さんがカナダと米国へ行ったが、テレビなどは「総理の…」と呼んでいる。政治本来の話よりは脇話(サイドストーリー)の方に興味を感じた。
 ブッシュさん自らの案内でエルビス・プレスリーの生家を訪れるというが、地元紙は「サムライとカウボーイの類まれな関係に相応しい結末」と紹介しているとか。ある評論家が言った。「このムードにはついていけない。行くんだったらイラクにでも行って自衛隊の撤収を手伝うか、ナイアガラの滝なら見物ではなく打たれて身を清めなさい」と。私は5年前に小泉さんが登場した時、ほゞ全面的に支持していた。今でも「小さな政府」観には賛成している。だが終幕が近づいた昨今、公私混同の部分が多いのではと感じている。
 ところで、歌手の吉幾三さんが世に出る前、「俺は田舎のプレスリー」という題の歌を唄っていたと記憶している。♪オラ、こんなのは嫌だあー、とかいう文句だった。小泉さん、あんまり調子に乗りすぎるとI don’t want you. I don’t need you. I don’t love you.と云われかねませんよ。でもどうやら無事に日本国の総理の職責を全うされましたネ。 (6月29日 午後5時頃 記)

その去就に注目

 日本銀行の福井総裁が辞めるか否か、日本中が注目している。国論が真っ二つに割れていると云っても過言ではない。法的な強制力は働かないという。日銀は政府からの独立機関だからなのだろうか。
 2日前、同総裁の個人(金融)資産が明らかになった。年金も貰っている。地下鉄の吊り革広告によると、ある週刊誌は「ごっつあん人生」などとの見出しで皮肉っている。今の日本は一部を除いて身分制の社会ではないが、日銀総裁といえば私には高貴な感じがするのだ。だとすると決してダーティなイメージがあってはならないと思う。どれだけ仕事の実績があろうが、その一点ですべてが失格なのだ。
 壱万円札のなかで福沢諭吉さんが泣いている。彼が今生きていたらどう云うだろうか。「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云えり」。福井総裁が辞めないのは庶民感覚からいって、どうしてもおかしい。不公平感が気持ちの中に湧いてくるのを否定できない。国家の頂点に立つ人は自分の損得勘定を優先してはならない。ズルしてはいけない。

タクシー運転手の死

前回の日記から1週間が経過している。忙しかったので更新する時間がなかった。相変わらず悲惨なニュースが多い(奈良県のお医者さん宅の火事など)。最近の日本社会はますます住みにくくなっているのかな。特に目を引いたのが名古屋で起きたタクシー運転手の死亡事件。お客とのトラブルから急性心不全を起こした。酔客が、土下座して謝る運転手にペットボトルから頭にお茶をかけさらに殴打したとか。本人には普段からの心臓の病があった。
 何年か前、漫才師・故横山やすし(さん)の息子がやはりタクシー運転手を殴って大怪我を負わせ世間を騒がせたが、それを思い出した。また、従来から近距離の乗車拒否がいろいろと批判されてもいる。当該タクシー会社は私がよく利用するところだ。翌日、たまたま乗る機会があったので、詳細を聞いてみようかと思ったがやめにした。今回は「カードで払う」との客の注文を「駄目だ」と断ったのが縺れた原因だとの報道もある。私はいつもカードで払っている。今後の捜査がどう展開していくのか。殺人で逮捕されるに到るのか注目している。
 タクシーはそのサービスの売手としてのドライバー、買手としてのお客。マナーの観点から双方に考えなければならないことが多々あるように感じている。
 
 

イメージが悪い

 村上ファンドに1千万円を投資していた日本銀行福井俊彦総裁は16日、「年によっては数百万円の利益の出ていることがあった」と話し、ファンドが高い利回りで運用されていたことを明らかにした。それに対し民主党は同日、自主的な辞職を求めることを正式に決めた。
 本人はその気は毛頭ないらしいが、もってのほかである。即、お辞めなさい。だいたい日銀といえば通貨の番人、ましてや、その長である。1国を代表する顔の一人である。たとえ当初の意図がどのようであれ(村上氏の考え方に賛同したとしても)、私利に奔ってはよろしくない。こういう人たちが公私の区別をつけなければ、外国から「日本はなんという下等な国か」と思われる。私はそんなふうに思われたくない。国家の品位を汚してしまっている。国連の安保理常任理事国になるくらいの一等国なら、まず高潔なイメージをそのセールスポントにしなければならないのに、なんたる様だ。
 例えが違うといわれるかも知れないが、私は映画俳優の故勝新太郎さんを思い出した。コカインで逮捕され、ハワイから呼び戻された。機中で「総理大臣の代わりはいくらでもいるが、俺の代わりはいないぞ」と大きなことを言っていた。だが、彼をテレビのコマーシャルに起用しようとしていた大手のビール会社は彼を降板させてしまった。イメージが悪く商品が売れなくなるのを懸念したからだ。それと同じで、福井さんも庶民の側からすればイメージが悪いのである。この件で彼の素晴らしい職業上の実績もどこかへ飛んでいって散ってしまった。
 いい機会だから(おかしな言い方だが)、日銀役職員の資産管理などを律する内規について再検討した方がいい。そうしないと市場からの信頼は得られないと思う。

上坂さんの続き(1)

 文芸春秋7月号を買ってきて、今、上坂冬子さんの「北城さん、靖国は商売の邪魔ですか」を読み出した。これまでに自分が知らなかったことが多く書かれているのを発見した。自分は無知だったわけだが別にそれを恥だとは思わない。学習すればいいからだ。
 その中の一つを引用する。「…戦犯の処遇などに触れたサンフランシスコ平和条約締結に、ロシア(当時のソ連)、中華人民共和国中華民国台湾、韓国などは署名していない。加えて平和条約には、この条約の適用上、日本は署名した48ヵ国以外の国から、いかなる権利も権限も『減損されたり害されたり』されることはないと書かれている。つまり、この条約に署名していない中国などは戦犯問題に対して発言する資格はないのだ。」
 2、3日前に、フーチンタオ中国国家主席が訪日を検討しているとの報道があった。上述の上坂さんの指摘を中国が知らない筈はない。どう考えているのか知りたいものだ。
 今日午後から出かけるので、本屋に立ち寄り上坂さんの「戦争を知らない人のための靖国問題」(文春新書)を買ってこよう。

上坂冬子さんのこと

 長い間、本を買わない。パソコンを始めてから無料で図書館を一部利用できるのがその理由である。新しいものは読めないが暇つぶしだけが目的なので、それで十分に間に合っている。だが最近、ぜひ買って読んでみたい気になった1冊が出てきた。10日付けの新聞広告で見た文芸春秋7月号である。その中で女性ドキュメンタリストの上坂冬子さんが「北城さん、靖国は商売の邪魔ですか・経済同友会代表に問う」との題で書いている。
 私は上坂女史のファンである。好きな作家三人の内の一人である。全作品を読んだわけではないが、そのデビュー作「職場の群像」は感動に近い読後感があったと記憶している。この作品は後の社会主義ソビエトの崩壊を予見していると言ったら、それは私の読み方が間違っているからなのだろうか。今、考え直しても高卒のお茶汲みOLの身辺雑記とはどうしても思えない。尤も、当時の彼女のバックには東大哲学科の学者が付いていたのだが…。彼女は途中から歴史物に転換していくが、私は初期の頃の作品の方が好きだ。自叙伝エッセイも読んだがとても面白かった。愛知県挙母(現豊田)市の高校出身で今をときめくトヨタ自動車のOLをやっていた。社員食堂の雰囲気が合わないと言って昼休みに裏山で焼き芋を食べていた。それと、ヘルメットとゲバ棒武装したインテリ女性たちのグループ・中ピ連が世間で物議を醸しテレビ出演した際、上坂冬子さんがそのリーダー(榎本何某さんとかいう名だったかな)に対し、「お茶か、お華でも習いなさい」と、あの丸顔のくるくるお目目で忠告していたのが印象に残っている。
 最近の彼女はよく知らないが、なんだか政治活動のリーダーをしているらしい。久しぶりに彼女の作品に接することができて私は興奮気味である。